先日ご近所さんとの会話の中で子供のコンシューマゲームに関するものが
話題となったので、それについて。
現在、ムスコは小学3年生。
ウチにはWiiとPSPがあるが、Wiiはカラオケ専用機、
PSPはミュージックプレーヤーとしての利用で、ゲームはさっぱり起動されない。
ムスコが幼稚園時代に一度Wiiスポーツをやっていたが
ムスコがそればかりになってしまい、ヨメがブチギレ。
禁忌のゲーム機と化し、それ以来、ゲーム機としての役割を失った。
ちなみにDSは里帰りしたときに姉が脳トレとやらをやっていて
『アンタもやってみたら?』とすすめられやってみたが、
正解を答えているのに反応せず時間ぎれとされ
九州弁で『あっとろーが!お前が分からんだけで勝手にまちがいやらせんどけや!』と
叫びつつ壁に投げつけ粉砕。姉に弁償する事態となったため、
その後購入されることはなかった。
世間的にはコドモたちはDSにはまっているらしいが
幸いムスコの友人たちは、持っていないのか、持っていても持ち出さないのか、外で所持している場面に遭遇しない。
2年生のコたちはもうやりまくりらしいので、これはもう奇跡的な状況といえる。
自分たちが子供だったころはどうだったか。
1979年。エポック社製のテレビブロックというゲーム機が友人宅に導入された。
赤い筐体の両サイドにピンボール用のでかいボタンがついたやつ。
今でも淡い記憶が残る。
その友人宅はたまり場となってしまい
そこでみんなピンボールのスコアを競った。
私は35万点を叩きだし同級生からの感歎をあびたものだった。
その後ファミコン→スーパーファミコンという時代の流れの中で
小中学生時代を過ごすことになる。
ファミコンはかなり初期に我が家へとやってきた。
東京へ出張に行った父が秋葉原で店員に『これからはコレが来る!!』とすすめられたとかで購入してきたその筐体には
ピンボール用のボタンもなく、怪しげなカセットをさすようになっていた。
筐体もなんだか貧乏くさい。なんでこんなものをつかまされたのか、ウチの父は。
がっくり脱力した私。
しかし画面に映し出されたその画像はそれまでのゲーム機を圧倒するものだった。
しばしはまって遊んでいたが、そこでハタと気づいてしまった。
ファミリーテニスやベースボールで誰かと対戦しているのは
楽しいが、ドンキーコングやポパイを一人でやっているのは
なんだかとても空しく、さびしい。
もうひとりの自分が、真っ暗な部屋でブラウン管の明かりに照らされた
うつろな顔の自分を見て、これはなんだかイヤだと叫んでいたのだ。
以来、周りはマリオだなんだと騒いでいても
対戦ゲームでだれかと遊ぶ以外のことにはさっぱり興味がなくなってしまった。
結局人が好きなのかもしれない。
高校、大学とすすんで、ドラクエだエフエフだといわれても
『もっと楽しいことがいっぱいあるのに、時間がもったいないのでは。』
というのが正直な感想。音楽でも映画でも小説でも漫画でも女の子でもいいのに。
ゲームよりずっと面白いのに。そう思っていた。
ゲームにはまってしまうことも分かるし、魅力がないともいわない。
特に今のゲームは画像もシステムも桁ちがいにレベルアップしてるし
ネットワークで人とのつながりもあるし。
でもやっぱりコドモたちにはそれより楽しいものが世の中にはいっぱいあることもしってほしい。
その中から自分の時間を割くものとしてゲームを選ぶというのはアリだとも思うし。
てっとり早くて、手軽なのはいいと思うけど、本当のテニスやスノーボードは
ゲームよりもっと楽しい。冒険は近所の神社や町の中にだっていくらでもある。
実際にふれあう人たちは、ゲームの人物やネットワークごしの人より
複雑でリアルだよ。
外食に行ったときに、子供はDS、親は携帯に夢中。
家族で、おいしいとか何を食べようとか
友達や遊びの話もしていない。
そんな光景をよく見かける。
DSを子供の相手にさせている親たちにも同じように伝えたい。
今しかないよ。子供と向き合っていられる時間は。
きっとすぐに僕らの手から飛び出して自分たちの世界を作りはじめてしまう。
それはうれしいことだけど、少しだけさびしい。
だから今だけは、きちんと向き合って彼らの世界を共有したいって思う。
ヘイ、ブラザー!子育てはめっちゃエキサイティングだぜ!!
話題となったので、それについて。
現在、ムスコは小学3年生。
ウチにはWiiとPSPがあるが、Wiiはカラオケ専用機、
PSPはミュージックプレーヤーとしての利用で、ゲームはさっぱり起動されない。
ムスコが幼稚園時代に一度Wiiスポーツをやっていたが
ムスコがそればかりになってしまい、ヨメがブチギレ。
禁忌のゲーム機と化し、それ以来、ゲーム機としての役割を失った。
ちなみにDSは里帰りしたときに姉が脳トレとやらをやっていて
『アンタもやってみたら?』とすすめられやってみたが、
正解を答えているのに反応せず時間ぎれとされ
九州弁で『あっとろーが!お前が分からんだけで勝手にまちがいやらせんどけや!』と
叫びつつ壁に投げつけ粉砕。姉に弁償する事態となったため、
その後購入されることはなかった。
世間的にはコドモたちはDSにはまっているらしいが
幸いムスコの友人たちは、持っていないのか、持っていても持ち出さないのか、外で所持している場面に遭遇しない。
2年生のコたちはもうやりまくりらしいので、これはもう奇跡的な状況といえる。
自分たちが子供だったころはどうだったか。
1979年。エポック社製のテレビブロックというゲーム機が友人宅に導入された。
赤い筐体の両サイドにピンボール用のでかいボタンがついたやつ。
今でも淡い記憶が残る。
その友人宅はたまり場となってしまい
そこでみんなピンボールのスコアを競った。
私は35万点を叩きだし同級生からの感歎をあびたものだった。
その後ファミコン→スーパーファミコンという時代の流れの中で
小中学生時代を過ごすことになる。
ファミコンはかなり初期に我が家へとやってきた。
東京へ出張に行った父が秋葉原で店員に『これからはコレが来る!!』とすすめられたとかで購入してきたその筐体には
ピンボール用のボタンもなく、怪しげなカセットをさすようになっていた。
筐体もなんだか貧乏くさい。なんでこんなものをつかまされたのか、ウチの父は。
がっくり脱力した私。
しかし画面に映し出されたその画像はそれまでのゲーム機を圧倒するものだった。
しばしはまって遊んでいたが、そこでハタと気づいてしまった。
ファミリーテニスやベースボールで誰かと対戦しているのは
楽しいが、ドンキーコングやポパイを一人でやっているのは
なんだかとても空しく、さびしい。
もうひとりの自分が、真っ暗な部屋でブラウン管の明かりに照らされた
うつろな顔の自分を見て、これはなんだかイヤだと叫んでいたのだ。
以来、周りはマリオだなんだと騒いでいても
対戦ゲームでだれかと遊ぶ以外のことにはさっぱり興味がなくなってしまった。
結局人が好きなのかもしれない。
高校、大学とすすんで、ドラクエだエフエフだといわれても
『もっと楽しいことがいっぱいあるのに、時間がもったいないのでは。』
というのが正直な感想。音楽でも映画でも小説でも漫画でも女の子でもいいのに。
ゲームよりずっと面白いのに。そう思っていた。
ゲームにはまってしまうことも分かるし、魅力がないともいわない。
特に今のゲームは画像もシステムも桁ちがいにレベルアップしてるし
ネットワークで人とのつながりもあるし。
でもやっぱりコドモたちにはそれより楽しいものが世の中にはいっぱいあることもしってほしい。
その中から自分の時間を割くものとしてゲームを選ぶというのはアリだとも思うし。
てっとり早くて、手軽なのはいいと思うけど、本当のテニスやスノーボードは
ゲームよりもっと楽しい。冒険は近所の神社や町の中にだっていくらでもある。
実際にふれあう人たちは、ゲームの人物やネットワークごしの人より
複雑でリアルだよ。
外食に行ったときに、子供はDS、親は携帯に夢中。
家族で、おいしいとか何を食べようとか
友達や遊びの話もしていない。
そんな光景をよく見かける。
DSを子供の相手にさせている親たちにも同じように伝えたい。
今しかないよ。子供と向き合っていられる時間は。
きっとすぐに僕らの手から飛び出して自分たちの世界を作りはじめてしまう。
それはうれしいことだけど、少しだけさびしい。
だから今だけは、きちんと向き合って彼らの世界を共有したいって思う。
ヘイ、ブラザー!子育てはめっちゃエキサイティングだぜ!!
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by totoex
| 2011-02-07 11:04
| 育児な日々